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ラウル・ルイス:映画『マルセル・プルースト、見出された時』監督
投稿日 2001年4月1日
最後に更新されたのは 2023年5月25日
20世紀フランス文学が世界に残す名前を1つだけ出すとしたら、やはりプルーストだろう。その全作品は世界的な文学モニュメントとして高く評価されている。自らが泳いでいた社交界を描くときのプルーストの緻密な描写は、いかに主観を交えているとはいえ、昆虫学者のそれに似ている。対象のイメージをより鮮明に絞り込むために、延々と書き連ねられた描写。語り部の仔細な注意力、愉しげなまなざしは、見せかけの皮の下にある本当の人物像を見透かしている。多くの芸術家にとってプルーストは1つの大きな指標であり、その文献研究が絶えることはない。ラウル・ルイズ監督は、ドヌーヴやベアールといった名優たちを使って、巨匠の作品の映画化という長年の夢をかなえることに成功した。
 
© Franc-Parler

フラン・パルレ:プルーストの映画を作るというのは、長年の夢だったのですか。
ラウル・ルイス:プルーストとはしばらく前からの付き合いになります。考えたことはありますが、本当に作る日が来るかどうかは分かりませんでした。15年くらい前になりますか。何本かの作品でいわばプルースト的とも言える手法を試してみたことがあります。たとえば物事を扱うのに取り留めのないやり方を使う。カメラの動きが関心の中心に向かわず、さ迷うような感じです。プルーストがあのような書き方をしたのは、物事をはっきり語るような問題の立て方ができなかったからだ、とよく言われます。「この人が好きだ」と語るために、彼には多くのページが必要でした。なぜなら彼にとって愛すると言うのは—あくまで彼にとってということですが、でも結局は一般的にも言えることですね—とてもユニークなことなので、個別に描き出さないわけにはいかなかったのです。
 
フラン・パルレ:撮影中、俳優たちに作品の抜書きを渡されたそうですね。
ラウル・ルイス:それは助手たちがしたことです。皆が少しずつプルーストの専門家になれるようにね。第一助手と第二助手がいつもその日に撮るシーンに関連した文章を用意していました。
 
フラン・パルレ:特に大切にしている言葉やテーマはありますか。
ラウル・ルイス:それは難しいですね。これは複数のテーマが織り成す組織ですから。1つテーマを上げたら全部挙げなければならなくなってきます。イメージを挙げるとしたら、川のイメージ、過ぎてゆく時間のイメージ、そして再帰的な記憶の効果でしょうか。彼は物事を思い出す方が幸せだったのです。例えば子供時代を思い出すとしますね。彼の子供時代は彼が実際にそれを体験した時よりも記憶の中の方が真実味があるのです。まさに時間のからくりといっていいでしょう。これはプルーストについて誰が何と言おうと彼の新しい点だと思います。意図しない記憶が過去の事象を現在よりさらに存在感のあるものにするのです。
 
フラン・パルレ:プルーストの作品は大作ですから映画化に取り掛かる前に迷ったのではないですか。
ラウル・ルイス:いいえ。妙なことに、映画に関しては僕はあまり臆病じゃないんです。他のことなら別ですが。本当にあまり迷わなかったんですよ。予めどんな風に撮影すればいいか分かっていたような気がしていました。ときには登場人物の名前を忘れたり、取り違えたりして周りを慌てさせましたがね。でも内心では先行きにとても自信がありました。
 
フラン・パルレ:この映画は筋が進行していく感じがあまりありませんね。
ラウル・ルイス:これはいわば織物であって、中心的な糸はないのです。楕円がたくさん集まって1つの平面を描き出しているような感じです。何か動かないようでありながら一定の速度で動き続けているもののような2重の印象があります。
 
フラン・パルレ:今回は最終巻を映画化したのですね。
ラウル・ルイス:結局はどの巻を映画化しても構わないのです。それぞれが全体を抱合していますから。どの巻でも過去と現在と未来に起こる出来事が想起されています。現在と過去と未来が同じ文の中で、同じムーヴメントのなかで結びついているのです。
 
フラン・パルレ:プルーストの生きた時代や社会が今よりも偽善的だったと思いますか?
ラウル・ルイス:そうは思いません。彼の周囲の世界には一定の形式が保たれていました。当時の社会には混乱もありましたが、率直にものが言える面もありました。ヴィクトリア王朝時代の英国とは違います。フランスはどちらかと言うと放埓で噂話も盛んでしたが、今ならはっきり言えないような事も言ってのけられる話し方がありました。たとえばシャルリュス男爵の下僕であると同時に保護者でもあるジュピアンが、ホモセクシャリティーや売春宿のことを話すときの語り口です。あけすけにはっきりと物を言いながら恭しさを感じさせるところがとても印象的です。
 
フラン・パルレ:このホモセクシャリティーのテーマは作品の全編を貫いていますね。
ラウル・ルイス:はい、潜在的に。プルーストの面白いところは、第4章あたりで現れることなのですが、始めはどの人も多少放埓ですが異性愛者として一見通常の生活を送っています。少しずつ、男たちがホモになってゆき、女たちも皆とは言いませんが少しレスビアンがかってきます。面白いのは、これがたいした問題ではなくて、登場人物が皆同じ問題を抱えているということです。嫉妬あり恋ありで、彼らの性風俗がまるっきり逸脱しているのに何一つ普通と違うところがありません。
 
フラン・パルレ:社会階層の違いや戦争に関する態度の違いがはっきりしていますね。
ラウル・ルイス:はい。ひとつの社会組織がここにはあります。面白いのはプルーストが金持ちと庶民の共犯関係を強調していることです。彼らは自分たちが善良な市民として同盟を組んで、台頭するプチブルに対抗できるという月並みな思い込みを抱いています。こうした思想はやがてファシズムの温床となっていきました。ラスキンのような前ファシズムの作家たちは貴族階級と庶民だけが同盟を結ぶべきであり、フランスを理解することができるのだ、彼らだけが真の愛国者なのだと考えていました。プルーストはそれを揶揄しています。売春宿のシーンには、奇妙なことに皆フランス軍に属している男娼たちが出てきます。航空兵や海兵や歩兵がおり、みな政治や戦争の話ばかりしています。時折「おまえは25号室へ」と誰かが言うのでやっとああここは兵舎ではなくて男娼宿なんだ、と思い至るのです。こうした思い違いを利用したゲームをプルーストは多用して楽しんでいます。これは確かに挑発的です。時代が時代なら、このような場面は禁止されていたでしょう。軍を笑いものにしているわけですから。
 
フラン・パルレ:同じ役者を使うのがお好きなようですね。ドヌーヴ、ベアール、プポー・・・
ラウル・ルイス:はい、俳優との出会いは常に楽しいものです。彼らをよりよく知れば、どのように役に入り込ませられるかがそれだけ良くわかってきます。それに友情が深まれば、それも結果に反映してきます。
 
フラン・パルレ:舞台装置はどのように選んだのですか。
ラウル・ルイス:ヴィスコンティが『ソドムとゴモラ』を撮ったときに使ったのと同じ物を多く使いました。『ソドムとゴモラ』ではモレルとシャルリュス男爵の同性愛が扱われています。時にはそれと知らずに同じになってしまうことも・・・ゲルマント家の城へも行きました。これは実在の城です。プルーストはこの城が好きだったのでその名前を取ったのです。ゲルマント家の人々は彼の完全な創作ですが、名前は実在していました。彼はそれを使う許可を求めただけです。一度だけ城を訪れて、名前を使わせてくれたことを感謝しています。この城は非常にプルースト的ですが、彼がここで青春時代をすごしたことはありません。でもプルーストはロスチャイルド家の城には行っています。ここはフェリエール家の城です。ヴィスコンティにも選ばれましたが今は映画スタジオのようになっています。
 
2001年4月
インタヴュー:エリック・プリュウ
翻訳:大沢信子
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