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フィリップ・トルシエ、サッカー日本代表チーム監督
投稿日 2001年6月1日
最後に更新されたのは 2023年5月25日
フィリップ・トルシエ:ゴールへまっしぐら
 
© Franc-Parler

フラン・パルレ:あなたにとって監督業は天職ですか?
フィリップ・トルシエ:天職というのは、どのみち教育と結びついています。教育は、親が子供に与えるものと、子供がそれを分かち合う人々との間とにまたがっています。だから親たちは子供を取り巻く環境とも折合いをつけねばなりません。僕の親は商人で、仕事に追われていました。僕は普通に育てられました。つまり衣食住を与えられ、子供の教育に最低限必要なことをしてもらったということです。親による教育以外の体験としては、友人の影響があります。学校や、その他いろいろな場での交友の中から責任能力が養われたのだと思います。6人兄弟の長男だったのも大きかったと思います。父が肉屋だったことも無関係ではありません。従業員が何人もおり、年上の人もいました。僕より責任のある、年上の人たちと交流があったので早くから自分を責任ある男として見るようになったのだと思います。母もいつも「弟や妹を大事にしなさい。」と言っていました。監督の仕事を始めたのはずっと後になってからですが、結局は全てが相まって最終的な方向が決まってくるのだと思います。だから、これが天職だとしたら、それは小さいときから人と分かち合うのが好きで、責任を負うのが好きで、大きい顔をするのが好きだったから、ということになるでしょうか。だからこれは僕の育てられ方に起因していると言えます。でも情熱に支えられた本来の意味での天職であることも確かです。
 
フラン・パルレ:日本に来る前はアフリカでしたね。なぜこんなコースを辿ったのでしょう。
フィリップ・トルシエ:僕らは選ぶ立場にはないんです。この仕事をしていると、行く先々でそのつど新しい道が開けてくるんです。つまりこの仕事には特殊な労働市場があって、レベルが高ければそれなりの実績が出来、人が関心を持ってくれ、声がかかるんです。僕はフランス人でありながら、アフリカチームと一緒にワールドカップに出場していました。この試合は実り多い僕のアフリカ生活の最後の総決算でした。フランスはといえばこのワールドカップで優勝し、日本はたまたま監督を探していました。こうしていくつかの要素が偶然に重なり、僕は日本側にとって有力な候補者になったのです。こうして思いがけなくも日本で暮らすことになりました。
 
フラン・パルレ:日本サッカーの現状はどうですか。
フィリップ・トルシエ:アジアレベルでは好調です。今は我々がトップにたっていますから。アジアチャンピオンですからね。現在スタンドの入りは横ばい状態ですが、これは観客の質が変わったからだ、と僕は思います。最初に職業サッカーリーグが作られた時は大変なブームになったので、本当のサッカーファンではなく好奇心から来る人が多かったようです。今は西欧のサッカー文化により近い人々の姿をスタンドで見かけることが多くなりました。つまりサッカーが分かる人たち、サッカーを観に来る人たちです。以前はスターを見に来たり、ショーを見に来たりする傾向がありました。今は観客層が安定し、玄人ファンが増えました。日本の国内的コンテクストから見るとサッカーは非常に好調であると言えます。資金はあるし、スタンドの入りもいいし、建物も立派です。マスコミはいつもスポーツを取材していますし、サッカーは特に厚いです。だからサッカーは上り坂にあるといえると思います。ここでサッカーのレベルや状況の変化を国際レベルで検討するとしましょう、ワールドカップの準備をしているのですから当然です。すると日本サッカーはまだ文化的な赤字状態にあると言わねばなりません。というのはこんなふうに単にボールを蹴って遊ぶ習慣がないからです。地面にしっかりと張り巡らされた根っこのようなものがここにはまだないのです。せいぜいこの10年ぐらいの歴史しかありません。フランスやイタリア、イギリスでは一世紀に渡る伝統があります。だから違いがあるのは分かります。ここではサッカーはまだ幼く、まだスタート地点についたばかりです。この赤字は埋めねばなりません。ワールドカップに最低限の知識をもって臨むのも僕に委ねられた任務だと思います。
 
© Franc-Parler

フラン・パルレ:あなたは日本でいちばん有名なフランス人ですね。いかがですか。
フィリップ・トルシエ:これはマスコミ報道の構造による効果です。ナショナルチームの監督の地位にあるというそのことだけで社会的に重要な地位にあるとみなさえてしまいます。このシステムによって僕は有名になりました。この人気は僕の役職に結びついたものです。僕に起こることは他の誰にでも、プラスアルファのある者なら誰にでも起こりえることです。つまり僕の行動は常にマスコミによって追認され、拡大解釈されています。だから僕の人気の50%は僕の地位によるもの、残りの50%は僕が表している人物像によるものといえるでしょう。僕がたまたまフランス人だということも人気を押し上げています。というのは、日本人にとってフランス人であるということはダイナミズムや現代性やエレガンスなどの規準になっているからです。これはフランスでは消滅しつつあるステレオタイプですが、日本人の記憶にはまだ残っています。特に30年代から60年代のフランスですね。僕にはこのラベルが張り付いているんです。これは僕にとってとても嬉しく、誇らしいことです。自尊心をくすぐられますね。僕たちは自分が愛されていると感じる必要があります。僕はそれを感じることができる。今は生きるのが楽しい時期といっていいでしょう。これが人生のひとこまに過ぎず、やがては過ぎ去ってゆくのだということは自覚しています。だからこそ目一杯生きなければね。
 
フラン・パルレ:技術面、体力面、精神面の訓練についてですが…
フィリップ・トルシエ:二つの側面があります。先ずアジアレベルですが、ここでの目標は王座につくことです。アジアチャンピオンであるということは、責任を伴います。これは重要なことです。というのは、責任を負うということによってさらに勢いがつき、より上の段階に進めるからです。これがアジア外プロセスです。ワールドカップの準備はこの次元で進められねばなりません。アジアレベルに留まっていてはならないのです。アジアチャンピオンであることが結果を保証してくれるわけではありません。ヨーロッパと日本ではサッカーのやり方が違います。理由は色々あります。日本は距離的にとても離れています。これは国際的な関係を築く上で強みにはなりません。これから最強の相手と張り合って力を試していくわけですが、その中でこれまで頭では分かっていても実感するには到っていなかった事柄を痛感することになるでしょう。精神面では、試合中のプレッシャーがより強いこと。これは身体面にも関係してきます。肉体的なぶつかり合いが多くなるからです。またこれは選手の技術の質や戦術にも関係してきます。つまり、ミスは許されない、チームのオーガニゼーションが厳密でなければならない。こうした状況は日本選手の学習力そのものを高めてくれることでしょう。そうすればワールドカップで持てる力を存分に発揮することができるはずです。
 
2001年6月
インタヴュ−:エリック・プリュウ
翻訳:大沢信子
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