『ダンシング・ベートーヴェン』ドイツの巨匠、ベートーヴェンの「交響曲第9番 ニ短調作品125」。その第九が演奏される中、大勢のバレエダンサーが音を体で表現していく。オーケストラと合唱が響き渡るステージで、まるで五線譜の河を泳ぐ魚のように・・・・・・20世紀を代表するフランスの振付家、モーリス・ベジャールは、耳が聞こえない人に第九を目で聞かせるかのように、音に大胆で美しい動きを添えた。難聴に苦しんだベートーヴェンがベジャールの舞台を見たら、どれだけ歓んだことだろうか、と思う。ベジャールの死後の2007年以降、上演は難しいとされていたこの「第九交響曲」の舞台だが、後継者によって再び上演されることになった。その舞台裏をとらえたのが、この映画だ。監督は、スペイン出身のアランチャ・アギーレ。クラシック音楽が大好きで、バレエが大好きだった十代の少女アランチャは、ブリュッセルに渡り、ベジャール・バレエ団のスクールでバレエを学ぶ。そして大人になった彼女が選んだのは、ゆかりあるベジャール・バレエ団のドキュメンタリーを撮影するという道だった。映画の冒頭で映し出されるスイスの雪景色と中盤で流れる紺碧の海のシーンは、まるで人間の心の奥底を映し出すよう。汗を流し、悩みながら人生を歩むダンサーたちのドラマと、ベジャールが追い求めた”Fraternité”の精神が絡み合って混ざり合って、美しい色彩の1作が完成した。Fraternité……私たちはこの言葉をどう訳し、どう理解したらよいのだろうか。日本語の既存の単語に置き換えるのはとても難しいけれど、この映画は”Fraternité”そのものを、私たちの心にダイレクトに届けてくれる。「旧約聖書の時代から、カインとアベルのように兄弟が殺し合う話があります。だからこそ、人間が持つべき理想として、Fraternitéの精神がフランスから生まれました」とアギーレ監督は語る。さらに、それが遠いフランスの精神ではなく、古くから日本で大切にされてきたHarmonisation (「調和」の精神)と通じることも教えてくれる。「Fraternitéは、Harmonisation(他者との調和)があって初めて成立します」と、アギーレ監督。本作には、日本で撮影されたシーンがいくつかある。東京バレエ団の練習風景、そして、評論家の三浦雅士さんのインタビューのシーンだ。三浦さんはそこで、ベジャールが日本文化や禅の精神に関心を持ち理解を深めていったこと、それらがベジャールの作品に影響を与えることになったことを指摘する。クラシック音楽が、harmonie(音の調和)によって美を生むように、人間もまた、人と人との調和が、大きな何かを生み出していく。ドイツで生まれた交響曲が、フランス人のベジャールによって舞踊となり、スペイン出身の監督によって映画となった。それぞれの創作の過程で、作者の溢れんばかりのFraternitéの思いが伝わってくる。21世紀。戦争が続いても、テロが耐えなくても、地球の気候が大きく変わり続けても、私たちには「希望」が残されている。そんなことを感じさせてくれる映画。(Mika Tanaka)振付:モーリス・ベジャール監督:アランチャ・アギーレ音楽:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲『交響曲第9番 ニ短調 作品 125』出演:マリア・ロマン、モーリス・ベジャールバレエ団、東京バレエ団、モーリス・ベジャールバレエ団 芸術監督 ジル・ロマン、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督 ズービン・メータ2016年/スイス・スペイン/83分/フランス語・英語・日本語・スペイン語・ロシア語Beethoven par Béjart d’Arantxa Aguirre avec Malya Roman, Gil Roman, Piotr Nardelli; 2016, Suisse, Espagne, français, anglais, japonais, espagnol, russe, 83 mn
『ダンシング・ベートーヴェン』Beethoven par Béjart