ヤン・ボーヴェ:目を見開こう!長編映画だけが映画ではありません。それを証明するために、パリを拠点に活動する映画製作者ヤン・ボーヴェが『Rivages lointainsヨーロッパ・アートフィルム1995-2002』で、彼のインスタレーション『岸辺』を公開するため、東京にやってきます。このお祭りで登場する他の監督の作品も、彼の選出によるものです。フラン・パルレ:4月26日に青山のスパイラルホールで上映される『岸辺』とはどのようなものですか?ヤン・ボーヴェ:映像のショーです。つまり、映写機を使って、透明のスクリーンに映像を映し出し、両側から映像を見られるようにしています。2つから4つほどの映写機を取り入れ、映像に合わせて私が語りを入れます。映画の題材は、“ニューヨークという街の見方”です。ちょっと変わっていて、たくさんの画が幾重にも合わさって、扇子のようになっている映像で、時には二つの画面が車のワイパーのように動いて、私たちはそのワイパーを通してニューヨークの街を散歩することになるのです。また映像に合わせて、ミュージシャンのトーマス・ケーナーがニューヨークの街の音をベースにして、電子音楽を流します。そして私もそれに合わせて語り、他の映写機を使って、新しい映像を映し出していくのです。だいたい45分から1時間ぐらいのものです。音楽と映像、それに映画館とは違う造形的な空間にいることは、とても刺激的なものだと思いますよ。フラン・パルレ:テーマになぜニューヨークを選んだのですか。ヤン・ボーヴェ:ニューヨークには何年も滞在したり、実際住んだことがあるからです。それにパリのジョルジュ=ポンピドゥー・センターから作品の依頼を受けたときに、何について表現したいかと聞かれ、そのときはニューヨークの街を題材にしたいと思ったからです。私たちがある街に初めて行ったとき、その街を全く知らないということはないということを、映像を並べることを通して伝えようと思いました。つまり、実際に行ったことがなくても、その街に対するイメージを誰もが持っているということです。しかしそのイメージが邪魔をして、見えるものも見えなくなってしまうことがあります。そのことを表現したかったのです。私は9歳から最近まで、このニューヨークという街で感じた全てのことを表現したいと考えたのです。フラン・パルレ:パリは実験映画の拠点ですか。ヤン・ボーヴェ:ええ。5,6年前から再びそうなりました。なぜなら上映機会がたくさんありますし、映画人も熱心に作っていますし、映画を見せる場所もたくさんあるからです。21年前、私はライト・コーンという実験映画の配給組織を創りました。初めは30ほどの作品しかありませんでしたが、今では2500にもなりました。ヨーロッパの実験映画の配給会社で最も大きなものの一つです。この組織を通して実験映画が身近になることによって、人々に少しずつ興味を持ってもらえるようになり、大衆映画や芸術映画以外にも映画の形があるということを分かってもらえるようになりました。造形芸術の世界や電子音楽、またビデオやテレビと関係のある映画の形式もあるということです。このようにあらゆる世界が入り混じった実験映画は徐々に世間に浸透していき、より多くの人々の関心をひくようになってきていると思います。フラン・パルレ:芸術映画との違いはどこにありますか。ヤン・ボーヴェ:実験映画を定義づけるのは難しいですが、どのカテゴリーにも入れられない作品が実験映画となるのではないでしょうか。世代によっても映画の撮影方法も変わっていますし。芸術映画に比べると、実験映画はその作っている人の思想が前面にでているのではないかと思います。自己が主張されているというのでしょうか。実験映画を作る仕事というのは、どのようなテクニックを使うか、例えば、どうしてここでビデオカメラを使うのだとか、そういったことが非常に重要になってきます。その技法でより刺激的になるか、理解するのが難しくなるかが変わってきますからね。それから実験映画は詩を生み出します。みんなが詩を読むわけではありませんが、もし詩というものがなければ、言葉への関心や探求心というものは生まれてこないでしょう。つまり実験映画は必ずしも誰にでも訴えかけるというものではありませんが、誰でもそれに感動し得るものだと思います。もしかしたら芸術映画とそれほどの違いはないと思うのではないでしょうか?でもやはり違いはあるのです。それは実験映画には必ずしもストーリーがあるわけではないという点です。つまり純粋にヴィジュアル中心の映画であって、視聴者に望むことは、視覚的な変化についていってもらうことなのです。まあ、音楽と同じようなもので、音の変化以外には特に話しかけることもなく、ただそのメロディーを聞いてもらうというようなことです。フラン・パルレ:映画人としてのあなたのキャリアはどのようなものですか。ヤン・ボーヴェ:十数年前から私はエイズに関する映画を作っています。これは本当にその問題と向き合って、人々に語りかけなくてはならないものです。他の映画製作者はエコロジーや環境問題に関する小さな事象など、彼らが選んだ撮影手段で世界で起こっている事柄を表現しています。または実験映画によくある日記仕立ての映画を作る人もいます。日常生活を語ったり、私たちに馴染みのない事柄を取り上げたり、苦しみを表現したり…。しかしそれらはどれも有名俳優に頼ることなく、私たちが直接作り、世の中の見方を表現しているのです。フラン・パルレ:実験映画の監督は長編映画も作るのですか?ヤン・ボーヴェ:真の実験映画のクリエーターはその世界だけでやっていくと思います。一般的には、彼らはたとえもし経済的に困難であっても満足していますね。実験映画は彼らのお気に入りの分野だからです。詩人だからといって、小説も書くわけではありませんよね。その必要性はないのです。同様に、短編映画を作るからといって長編映画も作りたいと思うわけでもありませんよね。実験映画の製作者がマーケットを意識して何かを作ることはしないと私は思います。それとは反対に、実験映画も作り、一般の大衆映画、宣伝の映画や他の映画を作る製作者もいます。そのように全てのジャンルの映画を作ることができるのなら、私はそれはそれで素晴らしいことだと思いますよ。自分の仕事を専門化することなく、作りたいものを作れるということですから。フラン・パルレ:フランスではどこで実験映画を見ることができますか。ヤン・ボーヴェ:フランスの大きな都市では、半月に一度とか、毎週一回とか、ひと月にいっぺんといった具合に頻繁に見ることができます。実験映画に興味を持つ人は多くなり、上映機会も増え、作品も増えています。それは映画製作者たちが、自分たちの作品を自分達の暗室で現像し、企業に頼らずに作っているからでもあります。このスタイルをとることで、撮影から現像、焼きつけまで映画を作る全ての段階を学ぶことができます。それが自由な映画を作ることへと結びついていくのです。フラン・パルレ:映画の撮影技術にも自由は現われてきますか。ヤン・ボーヴェ:ええ。なぜなら多くの映画製作者は8ミリで撮ることから始め、それがビデオに代り、コンピューターで作ることになり、そうしてまた元に戻るということをします。今の世の中は、昔と比べ、映画を作る上でたくさんの自由があると思いますね。2003年4月インタヴュー:エリック・プリュウ翻訳:三枝亜希子
ヤン・ボーヴェ、ヨーロッパ・アートフィルム1995-2002 参加映画製作者
投稿日 2003年4月1日
最後に更新されたのは 2023年5月25日