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ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ、セネガル人音楽家
投稿日 2004年10月1日
最後に更新されたのは 2023年5月25日
ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ :セネガルの激しい鼓動
 
ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ氏の家系は、13世紀から続くグリオ(元来は歴史や音楽伝承者の特権階級)です。
14度目の日本ツアーでは、打楽器奏者たちを完璧に指揮する彼の姿、それだけでスペクタクルになっていることが証明されました。
セネガルのパーカッションには素晴らしい未来が広がっています。
 
© Franc-Parler

フラン・パルレ:今回のツアーは何人のミュージシャンで構成されていますか?
ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ:18人です。そのつど要望によって変わります。最近、アメリカツアーをやりましたが、そのときは35人でした。時には、50人、150人、200人でやってほしいと言われることがあります。昔、ダカールの優秀な打楽器奏者のオーディションをしました。大人数での演奏を要求されますから。彼らの連絡先を聞き、私たちの家族のメンバーに入れました。家族だけで100人もの奏者はいませんからね。必要なときに来てもらいます。
 
フラン・パルレ:200人ものミュージシャンをどのように識別するのですか?
ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ:ヘンな音が聞こえれば、すぐに私は誰が間違えたのか分かります。問題ありません。背を向けていたって分かりますよ。誰かが間違えたら後ろを向き、その人を見ます。すると、間違えた人は、「はい。私です」という具合に。
 
フラン・パルレ:オーケストラの一部分はあなたの家族ですよね。
ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ:はい。大部分がそうです。4人の娘婿を除いて、あとはみな私と血のつながった娘、息子たちです。
 
フラン・パルレ:インターネット上では、あなたに150人もの子供たちがいるという伝説が流れていますが。
ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ:(笑って)いいえ。それはいくらなんでもキツイですよ。43人子供がいましたが、2年前にイタリアで一人子供を亡くしてしまいました。42人の子供たちには、何事も起きてほしくないです。
 
©Tsunehiro Takakuwa

フラン・パルレ:女性が男性同様、太鼓を演奏することはよくあることですか。
ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ:昔はありませんでした。1995年に私が思い切って、女性打楽器奏者をつくりました。セネガルだけでなく、アフリカ全土でそんなことを考えた人はいませんでした。なぜなら、アフリカでは女性は家にいて子供の世話をし、料理を作って洗濯をし、農作業をする男性に食事を運ぶものだと誰もが思っているからです。
しかし86年ごろ、当時のサンゴール大統領がつくったお祭りがあります。毎年、セネガル中の地域で、2週間にわたって女性たちが自分の仕事をやって見せるというお祭りです。例えば、洋服の仕立て屋、染物職人、美容師など。様々な仕事をもつ女性が、自分たちが何ができるかを披露したのです。セネガルのあちらこちらで催されました。
そこで私は、女性の太鼓奏者がいたっていいじゃないかと思ったのです。娘たちを呼び、こう言いました。「昨日、女の太鼓奏者をつくることに決めた。さあ、練習するぞ」と。第一夫人と第二夫人の長女と他の二人は「パパ、そんなこと出来るわけないじゃない。パパは若いときに太鼓を習ったからいいけれど、私たちにはもう子供だっているし、出来っこないわよ」と言いました。私は「不可能なものなんて何もない。やってみなさい」と言いました。4人の娘たちは朝10時から12時まで練習に来ました。次の日、私たちが練習をしていると、他の娘たちは彼女たちが何やらやり始めたことを理解したようです。3日目、6人の娘たちがやってきて、10人に増えました。そうしているうちに家族全員が集まり、またグリオの階級でない近所の女性たちもやってきました。面白そうだと思ったからでしょうね。
2ヶ月の間練習し、30分間のコンサートをやる準備をしました。そして私はセネガル国営テレビのディレクターに会いに行き、番組を設けて欲しいと頼みました。しかし、彼は「でもね、ドゥドゥ。タムタム(アフリカの太鼓)を叩く女性なんてアフリカには存在しないよ」と言いました。
私は「昔はいなかったけれど、今はいるんだよ」と言いました。彼は練習を見にきて、すぐにOKを出してくれました。月曜日、彼は私を呼び、衣装代と髪を編んでキレイにするようにとお金をくれました。そして一週間コマーシャルを流し、番組がある土曜日を迎えました。誰もが小さな画面に釘付けになりました。30分間、彼女たちは腰の周りにタムタムをつけ、歌って踊って演奏しました。みんな喜んで、私のことを賞賛してくれましたよ。
 
フラン・パルレ:あなたが使う太鼓は何ですか?
ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ:ここにある太鼓はみな、セネガル特有の太鼓で他のどこの国にもありません。ただ、ジャンベだけはギニアやマリ、ブルキナファソ、コートジボワールにもあります。サバールとゴロンや他のものは、セネガル特有のものです。アフリカの他の国で見かけたら、それは誰かがセネガルから持って行ったものでしょう。私は全ての太鼓を演奏しますが、指揮をとるにはサバールとゴロンを使います。サバールは、ダンスと歌を指揮するためと、遠くにメッセージを送るための太鼓です。
 
©Tsunehiro Takakuwa

フラン・パルレ:日常生活の中で今でも太鼓でメッセージを送ることがあるのですか?
ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ:アフリカ、特にセネガルでは電話やラジオやテレビがないときに太鼓でコミュニケーションをとり、誰もがパーカッションの言葉を分かっていました。人が亡くなったとき、葬式、結婚式、洗礼式、刺青、割礼の意味をみんなが分かっていました。また、いなごの大群の発生や、潅木地帯の火事を伝える言葉までもです。都市部ではもうこの習慣はありませんが、地方に行けばまだ存在しているところもあります。
 
フラン・パルレ:他の国のグループとも競演をしているようですね。
ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ:ジャズはアフリカで生まれました。セネガルにやってくるジャズマンや、私がツアー中に会う彼らは、一緒に演奏してほしいと言ってきます。アフリカと西欧のカルチャーを私がよく理解していると思っているからでしょう。パリでマイルス・デーヴィスの前座で演奏したり、ローリング・ストーンズとのアメリカやイギリスでの公演が実現したのはそのためです。ここで、競演したことのあるアーティストの名前を全部挙げることはできませんが。
 
フラン・パルレ:フランスのブルターニュのグループとも競演しましたね。
ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ:はい。ポワティエに住んでいる私のマネージャーはブルターニュの人です。ある日、電話をかけてきて、「ドゥドゥ、とても気に入っているグループがいるんだよ。あなたが一緒にやれば、成功間違いないよ」と。私は、「人を有名にするサービスはしたくないよ。ウィという前に、彼らのデモテープを聞かせてくれ」と言いました。ブルターニュ地方のオーボエの音が入った彼らのカセットを私は大変気に入りました。それは、セネガルの伝統的なメロディーと共通性があり、私たちのカルチャーによく似ていると思いました。すぐに私はOKの返事をし、ブルターニュに行って2日間練習しました。そしてツアーをしてCDも作りました。他でもやってほしいという要望がたくさんありましたよ。現在、ダカールのフランス文化会館長と他の国の文化会館長との間でアフリカツアーをすることを計画中です。
 
フラン・パルレ:太鼓を教えてもいますよね?
ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ:自宅や、セネガルの国立劇場で教えていますが、学校を作りたいと思っています。日本の団体にそのプロジェクトの支援をしてもらいたいと思っています。出来るかぎりのことをし、書類もきちんとしたものに出来上がりました。もしも神様が味方についてくれるなら、いつかふさわしい場所を手に入れることができるでしょう。そしてそこに日本や韓国、アフリカ、カリブの国々、世界中のカルチャーを一堂に集結させることが、私の夢です。
 
2004年10月
インタヴュー:エリック・プリュウ
翻訳:三枝亜希子
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