エミリー・ドゥケンヌ、ロゼッタ・ドールエミリー・ドゥケンヌのパンチは半端ではない。なにしろ18歳で演じた最初の役で1999年カンヌ映画祭の主演女優賞を受賞、主演作品の『ロゼッタ』そのものもパルム・ドール賞を獲得してしまったのだから。今回の受賞はベルギー映画の活力をあらためて示すものと言える(マリー・ジラン、ナターシャ・レニエ)。監督のリュック&ジャン=ピエール・ダルデンヌ兄弟にとって『ロゼッタ』は4本目の作品。すでに1996年に『約束』がカンヌ映画祭で監督ベスト15にノミネートされている。今回は作品のプロモーションのために東京を訪れたドゥケンヌだが、すでに2本目の作品をフランスで制作中という。人生を存分に謳歌する新進女優のインタビュー。フラン・パルレ:どんな家庭環境で育ったのですか。エミリー・ドゥケンヌ:どちらかというと中流の家庭です。ここまで来るにはいろいろ苦労もあったようですが、うまく切り抜けてきました。父はもとはサラリーマンでしたが独立して事業を起こし、母がその手伝いをしています。今は順風万帆です。私は何一つ不自由したことがありません。今ももちろんそうです。フラン・パルレ:『ロゼッタ』の制作のことをどうして知ったのですか。エミリー・ドゥケンヌ:キャスティングを通して知りました。叔母が新聞で募集広告を読んだんです。私はバカロレアの試験勉強をしていました。叔母は「運試しに受けてご覧なさいよ。ダルデンヌ兄弟よ。とか、これは本物よ、とか言いました。私はそれまでキャスティングに応募したことがなかったんです。ちゃんとしたものかどうかわからなかったので。ダルデンヌ兄弟と聞いて、あら、それならいいかも知れないわ、と思いました。それで試してみたんです。フラン・パルレ:前から映画に出たかったのですか。エミリー・ドゥケンヌ:そうですね、5歳から15歳までは映画の魅力に引かれて、とても出たくなるものです。舞台にはずいぶん出ていたんです。8歳で始めて16歳ころやめました。落ち着いてバカロレアの準備がしたかったので。まず舞台が好きになって、それから映画の華やかさにあこがれたんです。でもじっくり考えてみると、本当に映画が好きなのかどうか、良くわからなくなりました。『ロゼッタ』は自分が本当に映画が好きなのかどうか知る機会になりました。今は大好きです。フラン・パルレ:オーディションはどんな風に行われたのですか。エミリー・ドゥケンヌ:監督たちには候補者の写真が2000枚届いていました。全員に15分ずつの面接がありました。即興でいろいろなことをさせられました。2度目は1時間半でした。そのときはシナリオのごく一部を渡されました。3度目は丸一日でした。そのときは2人しか残っていませんでした。そのときはまだ2人いたんです。そこでシナリオのかなり大きな部分を渡され、何度も繰り返しやらされました。だから、経過はぜんぜん知らされていなかったし、その後何が起こるのかもわかりませんでした。長靴を一足準備しなければならなかったのですが、それだけです。フラン・パルレ:ダルデンヌ兄弟の監督ぶりはどうでしたか。エミリー・ドゥケンヌ:俳優を使うのがとても上手です。でもどんな風に指導するのか説明するのは大変です。ちゃんと見ていてくれるのは良くわかるのですが、こうしろああしろとは言わないのです。自由に演技させてくれます。でもぴったり張り付いて見ています。フラン・パルレ:それぞれのシーンは一回で撮影するのですか。エミリー・ドゥケンヌ:何回も撮ります。監督たちは映像にしても演技にしても、とても自然な感じになるようこだわっていました。人間的な瞬間を捕らえようとしていたのです。そこで技術のほうも俳優のほうもへとへとになりました。ほんとに完全主義です。フラン・パルレ:ダルデンヌ兄弟の監督ぶりはどうでしたか。エミリー・ドゥケンヌ:俳優を使うのがとても上手です。でもどんな風に指導するのか説明するのは大変です。ちゃんと見ていてくれるのは良くわかるのですが、こうしろああしろとは言わないのです。自由に演技させてくれます。でもぴったり張り付いて見ています。フラン・パルレ:それぞれのシーンは一回で撮影するのですか。エミリー・ドゥケンヌ:何回も撮ります。監督たちは映像にしても演技にしても、とても自然な感じになるようこだわっていました。人間的な瞬間を捕らえようとしていたのです。そこで技術のほうも俳優のほうもへとへとになりました。ほんとに完全主義です。フラン・パルレ:撮影は体力的にハードでしたか。エミリー・ドゥケンヌ:はい。体力的にはとてもハードでしたが精神的には本当にハッピーでした。母は毎晩私に電話して「あなた疲れてるわね。もたないんじゃない」と言いました。私は「疲れてへとへとだけど、力いっぱいやっているからすごく幸せよ。」と答えていました。フラン・パルレ:あなただけでなく他の俳優にとってもハードだったのでは・・・エミリー・ドゥケンヌ:ええ。最初に私が工場長を殴るところでは、私が一旦かがんでから身を起こし、頭突きを喰らわせるシーンがありました。鼻が折れることはなかったけど、とても痛かったようです。フラン・パルレ:ロゼッタの性格には自分と同じような面があると思いますか。エミリー・ドゥケンヌ:もちろんです。パワフルで、エネルギッシュで、意思が強いのは二人とも同じです。でも経歴は違います。エネルギーの使い方も違いますし、行動のパターンが違います。私は、朝目を覚ましたときに、今日は食べるものがあるかしら、飲むものは、寝る場所はあるかしら、と考えたことはありません。私にはそんな悩みは全然ありませんが彼女の楽観的なものの見方とパワーは持ち合わせています。私はとても楽観的なんですよ。フラン・パルレ:この種の人々と付き合ったことはありますか。エミリー・ドゥケンヌ:私はベルギーのボリナージュに住んでいますが、ここはとても貧しい地域です。炭鉱で働くためにやってきたイタリア人がものすごくたくさんいます。この人たちは掘っ立て小屋やキャンピングカーに住んでいます。炭鉱が閉鎖されて大勢の人が解雇されましたから。ベルギーの主要な石炭生産地だったのですが、もう石炭はなくなりました。フラン・パルレ:ロゼッタ・プランとは何ですか?エミリー・ドゥケンヌ:最近実施された社会改革です。雇用者たち、自営業者たち、経営者たちは一定数の若者を雇用する義務を負わされ、国がそれに対して補助金を出します。今のところとてもいいアイデアのように見えますが、10年後には結果が見えてくるでしょう。10年以上先になるかもしれません。ベルギー映画を救うための改革はずいぶん前に実施されたものですが、問題解決の糸口が見えてきたのはごく最近です。この計画もたぶんとてもいいアイデアなのでしょうが、年配の人たちの雇用を奪うようであってはならないと思います。フラン・パルレ:学業はどうしますか。エミリー・ドゥケンヌ:勉強はやめました。映画で予定がいっぱいなんです。勉強を再開したときも、特に目標があったわけじゃなくて、この仕事を続けていくだろうとは思っていました。18歳で勉強を中断したくなかったので、続けようとしていただけです。私は学生ではありません。学生らしく読書に割くだけの時間はありません。客観的に言って不可能です。私は読書が好きですし、人生は大きな大学です。それに私にはまだ時間があります。もしあとで仕事がうまくいかなくなったら、でもそうはならないと思いますが・・・勉強を止めなければならなかったのはいいしるしだと思います。とてもいいしるしです。2000年5月インタヴュー:エリック・プリュウ翻訳:大沢信子『ロゼッタ』 アル中で色情狂の母親と、トレーラーハウスで暮らすロゼッタ。彼女は最低の生活から抜け出そうと懸命に仕事を探すが、どこでもうまく行かない。ワッフル屋の店員リケは、そんなロゼッタを優しく助けようとするのだが、頑ななロゼッタはリケの優しさを拒絶し、そればかりではなく、リケがワッフルの売り上げをごまかしていることを社長に密告する。リケを首にして、自分を店員にしてもらうためだ。監督:リュック&ジャン=ピエール・ダルデンヌ 出演:エミリー・ドゥケンヌ、ファブリツィオ・ロンギオーヌ 1999年/ベルギー・フランス/カラー/93分
エミリ−・ドゥケンヌ、映画『ロゼッタ』主演女優
投稿日 2000年5月1日
最後に更新されたのは 2023年5月25日