フィリップ•バイロック:カブールのマジシャン(邦題『火と水』)おそらくこれは千夜一夜物語のタイトルにも似ているかも知れない。この作品はケベック出身の映画監督フィリップ・バイロックと、9.11をきっかけにその人生が変わってしまった日本の一市民、白鳥晴弘氏との偶然の出会いが結実したものだ。監督がその大まかな経緯を語ってくれる。フラン・パルレ:あなたはよく日本にいらっしゃいますか?フィリップ・バイロック:今回で6度目です。いつも映画を紹介する為に来るのです。1999年に日本のいくつかの大学に作品を紹介する目的で来日したのが始まりです。次に2003年、その年の夏に『ユーゴーとドラゴン』という子供向けの映画を紹介する為に来日しました。その時のことですが、ある朝、読売新聞を読んでいたら、一面のある写真が目に留まりました。アフガンの子供達に囲まれた白鳥氏の写真でした。このとても小さな記事を読むと最後に電話番号が記載されていました。白鳥氏がパシュトー語と日本語の通訳を見つけて欲しいと呼びかけていたからです。新聞の一面に電話番号が記載されているのは珍しいことです。だから、運命の女神が私にちょっと手を貸してくれたのでしょう。そこで実際に私は天野僖巳さん(ケベック州政府在日事務所)に頼んで電話をかけてもらいました。その結果、彼は私とニューヨークで2、3週間後、9.11の2周年記念の前日に、会うことを承諾したのです。その時から私は彼のチャレンジやプロジェクトを追って来たのです。フラン・パルレ:物語はカブールだけが舞台ではないですね…フィリップ・バイロック:この映画は3都市で繰り広げられる物語です。3都市に対する讃歌のようなものですね。この作品はカブール、ニューヨーク、そして東京で起こった出来事です。最終的に、この物語において3都市に共通することは、親子関係、白鳥氏と御子息の繋がりなのです。そしてまた、3都市がいずれもある時期、暴力や戦争に晒されたという事実もあります。ニューヨークの場合はもちろん9月11日です。カブールの場合は25年続く内戦です。東京の場合は1945年3月の空襲で街が焼けたことです。白鳥氏はこの中で生き延びたのです。自宅は無くなり、ご両親は随分辛い思いをされ、数年後に二人とも亡くなったのです。これが結局、一家離散を招いたのです。さらに数年後には、5人の兄弟姉妹とも会えなくなったのです。そして彼は戦争孤児となり、つまり、13歳から彼は東京の路頭で一人ぼっちになるという経験をしたのです。だから、カブールの街をさまよう、かなりの数の子供達の現実に自分を重ねることができるのです。彼らは同じ体験をしているのです。フラン・パルレ:あなたは撮影の為に現地カブールに行かれましたね…フィリップ・バイロック:ええ、2度行きました。2004年と2006年に。それはとても上手く行きました。準備も万端でしたし、良い現地スタッフに恵まれました。初回は、白鳥氏が既に築いてくれた良い人脈を使わせてもらいました。なぜなら白鳥氏にとっては2度目の旅だったからです。彼は、2003年に初めて現地を訪れています。私達は1週間で、彼の夢を実現する可能性を検討することが出来ました。つまりカブール市の一角に若者のための施設、若者の為の文化施設を建設するというものです。知っておいていただきたいのは、白鳥氏が9.11に世界貿易センタービルで一人息子を亡くしているということです。数ヶ月の喪の後、彼はこうした攻撃をするに至った動機を少しでも理解しようと、直接現地に行くことを、アフガニスタン行きを決めたのです。現地入りする直前、アメリカとNATOがタリバンとアルカイダを一掃する為に攻撃したので、彼は待機しなければなりませんでした。待機している数ヶ月の間、彼はマジシャンの学校に通うことを決めました。彼の頭に浮かんだのは、カブールの街で出会えるはずの子供達とコミュニケーションをとる手段を見つけるという考えでした。彼はそれを初めての旅で実行したのでした。だから、私達は、2度目の旅では、この施設を建設する可能性を探り続けました。私達は、専門家や技術者に会い、現場を視察し、白鳥氏は以来、その探求を続けました。何故ならカブールでは何事も簡単ではないからです。フラン・パルレ:アフガニスタンにはカナダ人の部隊が居ますね。それはカナダにとって重要な問題ですね…フィリップ・バイロック:駐屯する国が戦争状態にあっては、当然、メディアでは頻繁に取り上げられている問題です。アフガニスタンの現地に部隊を有するカナダや他の国々の場合がそうであるように。実際、初めての旅の時、私が現地入りする1週間前に、自爆テロによる攻撃があり、カブールの中心部でおそらくカナダ人兵士が1人か2人、死亡しています。従ってかなり緊張が高まっていて、多くのNATOの部隊や、ISAF国際治安支援部隊(International Security Assistance Force)と呼ばれる部隊が居ました。これらの部隊の目的は、紛争を収めることと、街中や地方に一定のセキュリティーレベルを保証することです。そして実際、私はカブールの路上で何度も、カナダ人の同胞、ケベック出身者に出会いました。彼らは軍服を着ていましたが、彼らに挨拶をする私に興味をもってくれました。初めは警戒していましたが、訛り(アクセント)を確認すると、用心しながらも、何故ならそれが彼らのこの街での状況だったので、私達に挨拶をしてくれるまでになりました。フラン・パルレ:あなたはむしろアート色のとても強い作品から始められたのですよね?フィリップ・バイロック:そうですね、私の作品リストはかなりバラエティに富んでいます。私は様式重視の映像作家でなく、よりテーマ重視の方なのです。私は心に響くものによって動くのです。私はアートに関する作品を作りましたし、作品そのものがアートというのもやりました。子供向けの作品も作り、テレビ向けにもいくつか作りました。私は実験的なフィクションを作り、そしてここに来て、ドキュメンタリーを、大きなテーマのものを作りたくなったのです。9.11事件の惨状を前にして、多くの人が自問自答したでしょう。このような事件をどうやって人生の中で分類していくのか?それをどのように理解するのか?私はそれが、あらゆる戦争体験の有意義な点だと思います、はっきりと。私自身は、多くの人のように、この事件によって動揺しました。そして東京で偶然目にした白鳥氏についての、この小さな記事を初めて読んだ時、私は彼の物語からかなりの着想を得たのです。あらゆるものに対して立ち向かう、21世紀のドンキホーテのような人が、一人息子の死の原因となった、いわゆる「闇の力」に会いに行こうとし、彼らと共に平和を作り上げることを熱望していることに。それは全く理想的な人道活動です。2010年6月インタヴュー:エリック・プリュウ翻訳:粟野みゆき
フィリップ・バイロック、映画『火と水』監督
投稿日 2010年6月1日
最後に更新されたのは 2023年5月25日