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La francophonie au Japon

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ローラン・テシュネ、チェンバロ奏者、作曲家、東京芸術大学教官
投稿日 2009年5月1日
最後に更新されたのは 2023年5月23日
ローラン・テシュネ:ヒューマニズムの音楽を伝えるために
 
演奏家、作曲家であり、東京芸術大学の教官でもあるチェンバロ奏者ローラン・テシュネは師事した教授の名前を全て挙げることが出来る(ローランス・ブーレ、ロベール・ヴェイロン・ラクロワ、ウィリアム・クリスティ、セルジュ・ニグ等)。これらの教授達が彼に音楽のクオリティのセンスを伝え、彼を現代および古典の芸術と表現の推進者に育てたのだ。
 

フラン・パルレ:あなたにとって、授業とコンサートは切り離せないものですか?
ローラン・テシュネ:そうです。私は、とても多くの音楽家達が授業をする事にうんざりしているのを知っています。なぜなら彼らは沢山の授業をせざるを得ないからです(そもそも私の場合がそうですが)。私は実は、授業をする事はアーティストにとってほとんど不可欠なものだと思っています。そのことが私たちをまさに本物の聴衆に結びつけるものだと考えているのです。ホールに来ている一般的な聴衆は、暗闇の中に居て、そして当然、コンサートの終わりにいつものように拍手をします。でも結局、我々は、(彼らの本当のところを)あまり理解出来ない、触れる事が出来ないのです。もちろん、それは著しい満足感と大きな共感となりますが、実際、私たちに深い敬意と伝達すべき芸術の真のメッセージを知らしめてくれるのは、現実なのです。現実とは授業であり、若い人たちなのです。それに、全てのアーティスト、巨匠たちは、アルド・チッコリーニも膨大な数のコンサートをこなしましたが、彼らがパリのコンセルヴァトワールのコンサートを理由に、あたりまえに沢山休講にしても、アーティスト修行中の若い人たちと交流を続けることにとても熱心だったと私は思います。
 
フラン・パルレ:あなたは現代音楽の作品を沢山演奏されますね。演奏される楽器がむしろ古典的な作品向きであるのに。
ローラン・テシュネ:結局、楽器というのは、それを用いて演奏する作品の為に在るのです。私は自分が見た初めてのチェンバロのリサイタルを覚えています。当時、私の両親はパリ郊外の町、ソーに住んでいて、初めてのチェンバロのリサイタルは、エリザベート・ホイナツカでした。彼女はポーランド出身の偉大なチェンバロ奏者で、特に現代音楽で素晴らしい演奏をします。そもそも(ヤニス)クセナキスやマリウス・コンスタンがこの楽器の為の曲を書いたのは彼女のおかげなのです。それに私はそのコンサートをよく覚えています。私は10歳になるかならないか位だったはずです。第一部では、彼女は髪にバレッタを付け、レースのブラウス等をまとって舞台に現れました。彼女はクープラン、ラモー、バッハを演奏しました。そして第二部では、突然、彼女は皮ジャンにジーンズ、途方もない高さのヒールでやって来て、おそらく私が初めて聞く現代音楽を演奏したのです。私は唖然とさせられました。私にとって、すぐに、チェンバロは、18世紀の代物ではなくなりました。つまり、それはまた未来の代物にもなり得るということで、私は後日エリザベートに会った時に、そのコンサートが私に及ぼしたインパクトと、コンサートの際にこんなにも本物のメッセージを伝えることができるのかと思った、と話す機会に恵まれました。
 

フラン・パルレ:あなたが現在特に強い関心を抱いている企画はどんなものがありますか?
ローラン・テシュネ:そうですね、沢山あります。なぜならやる事が多すぎるからです。社会はまだかなり古いと言いたいですし、それに私たちは経済的に難しい時期にあたっています。経済の苦境はすべてを放置したままにするという悪影響をもたらしています。それに特に、世の中が文化をもはや全くあてにしていません。社会を救うことが出来得るのは、まさに芸術と文化だというのに。ご存知のように私は多くの企画を立ち上げています。特に私は、アンサンブル・室町というグループを2年前に創設したのです。これは世界で初めて日本の伝統楽器とバロック楽器を結びつけたアンサンブルです。つまり、笙、尺八、琴など、とチェンバロ、リュート、バロックバイオリンなどです。それに20余りの、だと私は思いますが、楽器だけでなく、ダンサー、つまり日本の踊り、日本舞踊とルネサンスのダンスを踊る人も居ます。以上のことから室町という名前になったのです。なぜなら実際、室町時代は、私たちにとってはヨーロッパにおける私たちのルネサンス時代だったからです。能楽師や役者もグループの一員です。従って3年前から、今年は3周年になりますが、私たちは作曲家たちにこれらの楽器の結びつきの為に、曲を書いてもらうように頼んで企画を実行しています。それは当初は本当に全く簡単ではありません。なぜならレパートリーが無いからです。どうしたらいいのかが分かる手だてがありません。大きな冒険にとりかかるには、まさに作曲家たちが豊富な想像力と沢山の好奇心を持つ必要がありました。だから、このグループ、アンサンブル・室町はその3回目のコンサートを来たる12月にカザルス・ホールで行うのです。そしてまた、ワークショップやアトリエ、作曲コンクールを2010年に向けて軌道に乗せる予定です。
 

フラン・パルレ:あなたは”J’aime le Solfège”(ジェーム・ル・ソルフェージュ:ソルフェージュが好き)というタイトルの一連のコンサートをしていらっしゃいますが、このタイトルは、興醒めになりませんか?|
ローラン・テシュネ:そうですね、まあ、毎回、私が極端に世間知らずだったり、またはみんなを困らせる永久のいたずらっ子になるにしても、私は何故ソルフェージュが多くの人々にとって、こんなにも制限された、また限界のある、味気ない、また厳格なイメージがあるのかが理解できません。だから本物のソルフェージュを見せる必要があると私は思うのです。ソルフェージュのコンサートをやるべきです。なぜならルネサンス以来の膨大なレパートリーが存在するからです。それにとても美しい。何と言ってもポルポラ、スカルラッティ、メシアン、ケルビニのソルフェージュがあります。それら全ては、非凡な作品です。それに、これらのやるべきコンサートの中に、『レクチャー』パートを設けるのです。それは経験豊富な、教育の最高権威と、もちろん、まだ若い教授が説明するコーナーです。それは意見交換ですが、それらは教授たちの小さな世界だけにとどまりません。そうでなければ堂々巡りになりますし、それに既にこういった事に関しては当然沢山の機会があります。これはむしろ広く一般大衆向けなのです。なぜなら私は何故みんなソルフェージュが好きでないのか分からないからです。だいたい、”J’aime le Solfège”(ジェーム・ル・ソルフェージュ)の発想は私でもなく、ドビュッシーなのです。ドビュッシーはパリのコンセルヴァトワールに居た時、誰もが知っている、極めて反抗的は生徒だったのです。彼は何度退学になりそうになったかわからないくらいですが、彼が好んだ唯一の授業が、ラヴィニャック先生とのソルフェージュの授業だったのです。このことから私は少し着想を得て、謙虚に、ソルフェージュの正しいイメージを与えようと思ったのです。このことを考えているのは私一人ではないと感じていますが、でもそれはとても難しいことです。私は生徒達にこう言っています:「私はソルフェージュが好きです」当然これはみんなを笑わせます。そうはいっても、多くの人がこの企画に参加しにくることに私は気がついています。今や学生たちの音楽祭、芸祭で、学生たち自身が、この”J’aime le Solfège”を(フランス語のタイトルで)開催しています。だから何らかの影響があるのでしょう。私が考えるには、教育は、ただその高い実力を誇り、時には常軌を逸したそのエリート主義から脱するべきです。そうなれば、みんなで何らかの共有が得られると、私は期待しているのです。
 
2009年5月
インタヴュー:プリュウ・エリック
翻訳:粟野みゆき
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