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サンドリ−ヌ・ボネール、映画『彼女の名はサビーヌ」』監督、女優
投稿日 2009年2月1日
最後に更新されたのは 2023年5月23日
サンドリーヌ・ボネール:サンドリーヌのようになったサビーヌ
 
確かな演技力で定評のある女優(「冬の旅」でセザール賞最優秀女優賞受賞) サンドリーヌ・ボネールは、自ら挑んだ監督作品に意味を持たせる為に、個人的な記録の中で彼女の自閉症の妹サビーヌへのオマージュを表している。2007年のカンヌ映画祭で好評を博し、その作品「彼女の名はサビーヌ」はフランスの映画館で公開された。日本でも、この作品が何かを変えるきっかけとなることを祈る。
 

フラン・パルレ:あなたの初監督作品にしては、メッセージ性の強い作品ですね...
サンドリーヌ・ボネール:そうです、とても深く掘り下げた作品です。なぜなら私はフランスにおける(障害のある)大人のケアに関して、大衆の関心を呼び覚ましたかったからです。それに私の妹に関する作品を制作することが、それについて語る最良の方法でした。サビーヌのこと、病気の動機のこと、そして自閉症に罹った全ての人が、よくある同様な状況にいて、今日でも居場所がないということに関して。サビーヌの問題は解決しましたが、受け入れ先が無い人たちがまだ本当に沢山いるのです。
 

フラン・パルレ:この作品の公開によって実際の効果はありましたか?
サンドリーヌ・ボネール:はい、まずこの作品はFrance 3で放送されるチャンスに恵まれました。物の順序がちょっと逆になりましたが。通常は、むしろ劇場公開の後でテレビ放映になりますが、カンヌ映画祭で得た反響の恩恵に浴したのです。だからすぐにこの作品はプライムタイムに放送され、続いて長い討論会がもたれました。最初は夜の後半の枠で放送されるはずでしたのに。放送はかなり高い視聴率を取り、約350万人が視聴したので、これはやはり大きいです。従ってともかくテレビ視聴者では新たな反応が得られました。大衆の関心を呼び起こす事の他に、人々がこれらの(障害のある)人々に抱くかもしれない見方も考えさせることもあります。だから、その点はむしろ成功したでしょう。それに政治の面では、私はテレビ放映の前にサルコジ大統領に面会を申し込んだのです。大統領は私を迎えてくれ、労働相のグザビエ・ベルトランにつなげてくれました。私は長いことベルトラン氏と話をしました。私の要望はもちろん、生活する受け入れ場所に関するものです。グザビエ・ベルトラン氏は私の考えを取り入れる為に2008〜2010自閉症を考える委員会に加わるようにすすめてくれました。彼は、他にどんな施設が作れるのかを検討する為にサビーヌがいた場所を視察に訪れました。
 
フラン・パルレ:何を指して生活の場所と呼んでいるのですか?
サンドリーヌ・ボネール:生活の場所とは、その言葉が示す通り、生活するところ、家、そういった(障害のある)人たちにとっての我が家なのです。フランスでの諸問題は、それにおそらくここ(日本)の場合も同じでしょうが、結局多くの国々では、精神病院の他にはあまり代わるものはありません。それに精神病院は一時的な場所で、治療する場所ではありますが、生活の場所ではありません。
 

フラン・パルレ:私生活をどちらかといえば明らかにしないあなたが、この作品については、ご自身でご家庭の中を撮影される選択をされました。これはあなたの日常を変えませんでしたか?
サンドリーヌ・ボネール:ええ、これは確かに物事を変えています。私は妹について、もう少し私生活を明らかにしていますが、距離をおいて私生活を見せています。要するに私はしばらく前に映したサビーヌの映像を持っていたのです。映画を作るという目的は全くなく、むしろサビーヌに関する作品は撮らないつもりでした。彼女は社会の機能不全が原因で、悲劇的な運命をたどりました。それ故に私にとってこの間違いについて語るには(映画が)唯一の手段なのです。もともと非常に能力があった人が、社会の機能不全や、世話をする介護職員側のミスが原因でそれを失ったことについて語る時、それを表現するのに最良の方法は、以前のサビーヌの映像を再現し、それで彼女がどんな才能があって、どんなに美しくて、自立していたかを見せることでした。その状態を今日の状態、全てを学び直さなければならないサビーヌと比べることでした。
 
フラン・パルレ:あなたがこの企画を実行する時、ケアされて受け入れられている人々と周辺スタッフとの関わり合いの中で当初、この生活の場所に介入することを怖いと思われませんでしたか?
サンドリーヌ・ボネール:いいえ、なぜならば私が撮影している人たち、サビーヌや他の人々は私が良く知っている人々です。サビーヌはこの場所で10年前から生活していて、私はここの全ての人々と仲良くしています。誰が撮影してもらいたいかを知る為に、事前に会合を設けて、その両親に何か不都合なことがあるかどうかを聞きました。親御さんたちはかなり容易に許可してくれました。それからこの目的は(障害のある)彼らに対していかなる場合も不誠実であったり、淫らであったりしない、ということでした。それに皆がこの出来事を受け入れたのです。なぜならこれは本当に彼らの立場を守る為だし、むしろこれらの人々を助ける為であり、うわべだけの理解や、有名人の理解とか、他にもあるかもわかりませんが、彼らをそんな事で片付ける為ではありません。
 

フラン・パルレ:一般的な大衆の反応、政府の手応えは分かっています。撮られる側の人たちの反応はいかがでしたか?
サンドリーヌ・ボネール:サビーヌに関しては良すぎるくらいです。彼女はとにかく、初めてこの映画を観た時、昔の映像をきっかけに、彼女が今まで観た事のなかった映像、さらには彼女が知っていた映像からむしろ何かを思い出しているような反応をしました。彼女はそれらの全ての映像を少し思い出して、現在の映像、たとえば暴力の場面では、笑う傾向がありました。私は何故笑うのか彼女に聞いたのですが、彼女はそれを本当に説明する事は出来ませんでした。でも彼女はどちらかというとこの作品を良く受け取ったのです。彼女がこの映画のDVDを欲しいと言って、本当にとても定期的にこれを観ているという点から。あまりにも頻繁に観すぎるとさえ言えるでしょう...ある時期までは彼女はそれを毎日観たがったのです。それは自分の世界にちょっと逃げ込んでしまって、他とはもう関わらないという状態です。でもそれは治療効果にもなりました。なぜならサビーヌは、現在、ある程度自立が出来るようになり、彼女の失っていたある種の女らしさを取り戻したからです。他の人々については、彼らは皆、この驚くべき出来事に参加して、役に立っているという気持ちや責任感を得たと私は思います。彼らは具体的な企画に参加したのです。彼らは決して途中で放棄せず、最後までやり遂げましたし、私の感覚では、彼らは社会性が持て、影響され、注目されたと感じていると思います。
 
2009年2月
インタヴュー:プリュウ・エリック
翻訳:粟野みゆき
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