フラン•パルレ Franc-Parler
La francophonie au Japon

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アンドレ・アンリ、トランペット奏者
投稿日 2008年5月1日
最後に更新されたのは 2023年5月23日
アンドレ・アンリ:フレンチ・ブラスの響き
 
さらば中国、こんにちは日本。中国のフィルハーモニック・オーケストラにおいてトランペットのソリストを8年務めた、アンドレ・アンリが日本に最高の風を吹かせに来る。彼は山口に落ち着くことになる。
 

フラン・パルレ:最初からあなたはトランペットに惹かれていたのですか?
アンドレ・アンリ:そうです。というのはかなりおかしいことかもしれません、何故なら実際のスタートは、それは…私は、シェイラールというアルデシュ県の人口3000人の小さな村に生まれました、それはこういうことです…当時、つまりだいたい1980年頃ですが、そこには音楽学校がありませんでしたし、そういう状況はそこには、家庭にすら、私が音楽の世界に身を置くような、私を導いてくれるような、いかなる手段も、ありませんでした。私は何故だかわからないのですが、それは永遠にわからないでしょうが、誕生日に、私が11歳の時、母がモーリス・アンドレの、言わずと知れた有名なトランペット奏者の、レコードを買うのです。私は何故彼女がこのレコードを買ったのかわかりません。それで、私はそれを何度も何度も聴いて、トランペットに恋をしたのです。私はそのように始めたのです。一人で、実際、先生なしで、レコードだけで。もちろんトランペットを買ってもらいましたが、そのレコードを聴きながら、独学しました。
 
フラン・パルレ:あなたの音楽人生において特筆すべき大きな出来事を教えて下さい。
アンドレ・アンリ:本物の教授陣に出会った事です。それは1987年、アヴィニョンのコンセルヴァトワールで、そして1991年、リヨンのコンセルヴァトワールにおいてです。そしてこのことが全て、私をジュネーヴ国際音楽コンクール首席といったような数々の国際的な大きな賞に導いてくれました。ジュネーヴは大きな国際コンクールの一つで、私たち音楽家にとっては、オリンピックのようなものと言ってもいいでしょう。それは本当に大きな出会いです。そしてそれは既に約100年の歴史があるコンクールなのです。それに100年間で、首席を獲得出来たのは、世界中で5人(のトランペット奏者)しかいないので、私がそれを獲れたのは大きかったです。なぜなら私は、決して他のみんなと同じ様にしなかったからです。それがいいのです。一般的には、正統派のコースは、地域のコンセルヴァトワールに行き、それはナントや、ストラスブール等、あらゆる都市にありますが、次に、本来ならパリのコンセルヴァトワールに進みます。そこはCNSMDP(Conservatoire National Supérieur de Musique et de Danse de Paris:パリ国立高等音楽舞踊学院)で、もちろん音楽の高等教育を施すところです。その後に当然、国際コンクールにエントリーします。私は、そのようにしなかったのです。私はパリ(の国立高等音楽院)に行ったことは一度もありません。私は常に横道を歩いてきましたが、同じ地点に、さらには他の人よりも高いところに到達したのです。
 
フラン・パルレ:あなたは中国に行かれましたね….|
アンドレ・アンリ:ジュネーヴの賞のおかげです。なぜなら確かに、そのような賞を獲得すると、否応なく世界中から招待されるのです。その時はベネズエラ、ブラジル、カナダからと同時にアジアからも来ました。それは1999年のことでした。それで中国が私に連続でマスター・クラスを北京、上海、広東、それから国の西部でも開催するように依頼して来たのです。99年に、私は日本のことも同時期に知りました。これは、実際、ジュネーヴの賞の結果であり、ご褒美でした。これが不思議なのですが、フランスにおいては、コンクールや招待に関して私は全く何もしなかったのです。一切何も起りませんでした。すべては国外で行われたのです。
 

フラン・パルレ:どのようなフランス流の特徴を外国に持っていかれるのですか?
アンドレ・アンリ:私はその国に合わせます。教育法や心理面で、と言いたいのですが…授業を組み立てる時、リオ・デ・ジャネイロに居るのと、東京に居るのとでは、同じやり方で授業をすることは出来ません。トランペットのような、私たちの楽器本来のベースがあり、決して動かすことのできない基本的なことはあるのですが、それに加えて、その国に応じたメンタリティーに適応する必要があると言わなければなりません。当然、リオに居る時は、それはお祭りであり、太陽であり、みんなが最高のノリです。東京に居る時は、もっと厳格さがあります。だからちょうどよい妥協点をみつけるべきだと、私は思います。彼らはどういう人なのか、彼らの国では人々はどのように振る舞うのか。これが私の教える時の考え方です。
 
フラン・パルレ:他の演奏家に比べてトランペット奏者がより多く学ばなければならないことは何ですか?
アンドレ・アンリ:他の人より多いことはありません。何よりもトランペットの維持です:毎日の練習、自分の楽器をよく演奏出来ることですね。なぜならトランペットはとても肉体的な楽器だからです。その為に本当に毎日の練習と、基礎技術の持続、仕事の哲学をキープする必要があるのです。でもこれは(演奏家)みんなにあてはまることだと思います。
 
フラン・パルレ:吹く為の、肉体的な訓練がありますか?
アンドレ・アンリ:それは最初に精神面の訓練ですね。なぜなら自分のエネルギー量を定めることが出来る必要があるからです。実際それがコツなのです。トランペットについては、圧力の問題なので、息を吹き込む速度を定めることが出来る必要があります。それに私はトランペットを、聞こえるように、または軍のラッパや何かのようにイメージして演奏するのは好きではありません。違う、違う、そうじゃないんです、それは全く別もので、もっとずっと優しく、もっとずっとソフトなものなのです。
 
フラン・パルレ:フランスのトランペット奏者はオーケストラの仕事よりはソリストの仕事の方により惹かれているのでは…
アンドレ・アンリ:それははっきりしています。それはフランス流トランペットのアイデンティティーです。何故ソリストか?もちろんモーリス・アンドレです。彼は私たちの指導者であり、50年経ってもなお、いまだに指導者であり続けていますが、彼が自分自身で偉大なフランス人ソリストを形作ったのです。だから、私たちのアイデンティティーはソリストなのです。確かに、オーケストラの良いソリストも見受けられます。オーケストラ・ド・パリ、ラジオ・フランスなどは素晴らしいトランペット奏者を抱えています。オペラ・ド・パリも、もちろんですが、オーケストラのあり方はどちらかというとアメリカ的だと言えましょう。
 

フラン・パルレ:あなたは日本に落ち着かれるそうですね。それについて少し話していただけますか?
アンドレ・アンリ:ええ、いいですよ、私は日本に落ち着こうとしているのは、ここに来るようになって8年になるからです。授業やマスター・クラス、コンサートを8年、それから日本に本気で恋をして8年。それに日本はある意味で、私の教えるスタイルを、完全に変えてしまったのです。それは私の教授法において大いに役に立ちましたし、私は実際いつもここに来ることを夢みていました。でもここではもちろん、物事は、物事はゆっくりとしなければいけません。物事は時間がかかります。でも実は私は日本人女性と6月21日に結婚するのです。このことがそれの説明になりますね。私の妻は山口で働いていて、彼女はとてもとても上手にフランス語を話し、スペイン語も話し、複数の言語を勉強しました。一緒になると、私たちは、音楽に対しても、言語でも、色々なことでも、本当に素晴らしいチームになります。それで私はここに6〜7月中に来るつもりです。
 
フラン・パルレ:フランスにおける、様々なコンクールでは、多くの日本人トランペット奏者が見受けられるような気がしますが、それは何が原因なのでしょうか?
アンドレ・アンリ:パリのコンセルヴァトワールでは、そうですね、毎年アジア勢が受験します。彼らに国際コンクールで再会することもあります、それは明らかです。でも言うなれば、彼らはフランス流に、私たちの演奏法に、それから私たちの教授スタイルに興味があり、惹かれているのだと思うのです。なぜならここでは、非常にきちんとしていて、とても厳しいので、しまいには、余分なストレスがかかり、それは何にもならないことです。だから、明らかにフランスに勉強に行く日本人学生は、教授が彼らに求める、もう少し自由な、創造性のある状況の中に身を置くことになります。—何かを創ってごらん、演奏して、提案してごらん— それなのに、ここでは、こうです:—君はこのようにしなければいけない、それはこういうものだ。だから、これら二つの流儀は全く異なるものなのです。
 
2008年5月
インタヴュー:プリュウ・エリック
翻訳:粟野みゆき
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