フラン•パルレ Franc-Parler
La francophonie au Japon

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パスカル・プリッソン、映画『マサイ』監督
投稿日 2006年1月1日
最後に更新されたのは 2023年5月25日
パスカル・プリッソン:アフリカよ、君が私達の心を掴む時
 
ケニヤ共和国…舞台背景は既に整っていた。パスカル・プリッソン監督に残された仕事はその舞台に人間の役者を登場させることだけだった。もはや完全なドキュメンタリーではなくなった:雨を降らせる戦士「マサイ」。
 
©Franc-Parler

フラン・パルレ:あなたはむしろドキュメンタリーの専門家ですよね…
パスカル・プリッソン:私は特に自然を題材にドキュメンタリーを撮っています。10年前から私は動物のドキュメンタリーをナショナル・ジェオグラフィック誌やBBC放送向けに制作する為にアフリカに行っていました。私は1年のうち8ヶ月以上ケニヤで過ごします。そしてちょうどケニヤに滞在中に、動物の足跡をたどる仕事をマサイに、戦士達にさせているうちに、私は彼らと出会い、そこからこの映画のアイディアが生まれたのです。
 
フラン・パルレ:あなたが他の国ではなくケニヤを選んだのはどういう理由からですか?
パスカル・プリッソン:それはいささか偶然の一致と言えるでしょう。なぜなら当初私は北極グマの映画を作りにシベリヤに行くはずでした。それがある監督がアフリカで猿の映画を作ることを放棄したのです。私はそこへ行くように勧められ、行ってみたらこの国に心底惚れ込んでしまって、それでとどまったのです。
 
フラン・パルレ:日本では大きな映画館で多くのドキュメンタリーを上映します。フランスでも同様ですか?
パスカル・プリッソン:そうですね、フランスでは今年40本以上のドキュメンタリーが映画館で上映されました。アメリカ合衆国でも、ヨーロッパでさえも自然を扱ったこれらの作品を鑑賞するのに(テレビとは)別のスタイルがあるのです。それに自然を題材にした作品ばかりではなく、政治に関するドキュメンタリーやあらゆるジャンルのドキュメンタリーがあり、今日ではドキュメンタリーが映画館の一部を占めているのは確かです。
 

フラン・パルレ:あなたは物語を上演することを選びましたが、何故事実ではないのですか?
パスカル・プリッソン:なぜならマサイ族に関するドキュメンタリーは沢山あるからです。マサイに関する10番目とか15番目の作品をまた作ろうと思っていませんでした。だから考えた末、最良の方法は戦士の生活を語ること、見せることだと思ったのです。それは生活の一部分、ライオン狩りを語ることだったのです。この通過儀礼を語るきっかけとして、雨や干ばつを取り上げました。そしてそれが私達にとってドキュメンタリー以外のもう一つの手法だったのです。
 
フラン・パルレ:この物語のベースはマサイ族に伝わるものですか、それともあなたが何かつけくわえたのですか?
パスカル・プリッソン:これはフィクションですが、事実に限りなく近いフィクションです。なぜならライオン狩りは実際にあるのですから。この台本を書いた時、彼らの事実から遠ざかることのないように、年長の戦士にこれを見せるようにしていました。この物語が彼らにとって信じられるものである必要があったのです。彼らがこれを演じることが出来る為には。そうでなければ彼らがこれを演じることは不可能だったでしょう。だからこの物語は殆ど彼らと共に書いたと言っていいでしょう。
 
フラン・パルレ:役者はプロではないですね。
パスカル・プリッソン:そうです、彼らは本物の戦士です。私達はキャスティングをしました。私は何人かの戦士を知っていて、どこかで正規外のキャスティングをしようと考えたのです。そこで何人かのメッセンジャーを送り込み、ある谷間の待ち合わせ場所に何日から何日まで集まるように伝えてもらいました。私達は誰が何人来るか全く知りませんでした。そしてどんな仕事なのか正確に知らないままにタンザニアやケニヤからおよそ300人が集まりました。1週間の間、私達はこれらの戦士達を小グループに分け、さらに1週間後、使えると感じたもので1つか2つの均質なグループを作りました。それから彼らを大草原の牧場に連れて行き、1ヶ月かけて12の主要人物を創り上げました。
 

フラン・パルレ:実際それはかなり重要な作業だったのですね?
パスカル・プリッソン:そうです。なぜなら読み書きのできない、学校に一度も行ったことのない、カメラを一度も見たことがない、映像を一度も観たことがない人々にとって想像するということは簡単ではなかったのです。彼らに指示を出し、芝居をさせることは。それは彼らにとっては存在しない概念だったのです。だから彼らに役者という概念を教え、想像上の人物を演じることを教えなければなりませんでした。他の者よりも弱い、または強い人物がいました。死にゆく人物、傷を負う人物もいました。彼らは自尊心が大変強い人々ですから、とてもとても強い勇気をもっています。だから芝居をする上で何人かは実際より弱く見せることを受け入れる必要がありました。実際彼らは想像上の人物を演じることを受け入れなければなりませんでした。それをひとたび彼らが理解した後は、ことはもっと簡単でした。
 
フラン・パルレ:この作品はケニヤで上映されましたか?
パスカル・プリッソン:作品はナイロビで上映され、私達は戦士達を皆ナイロビに呼び寄せました。ケニヤ政府やフランス大使館と公式上映会を開催し、真の成功をおさめました。次に私達は僻地や村落に出かけてこの作品を見せました。これは私達にとって本当のテストでした。何故なら私の目標は彼らの文化に最も近いところにいることであり、彼らが誇りに思う、彼らの未来の世代が誇りに思う作品を作ることだからです。これは私にとって最も複雑でストレスを伴う企画でした。実際そこでのひとときは素晴らしいものでした。みんな拍手していたからです。それでこのレベルでも私達は賭に勝ったことに気づいたのです。
 
フラン・パルレ:あなたはフィクション路線を続けられますか?
パスカル・プリッソン:私はドキュメンタリーに戻るつもりです。映画用の動物のドキュメンタリーで、来年またアフリカでクランクインします。少し『皇帝ペンギン』のタッチに近いかもしれません。このジャンルでは今や実際多くのフランス人動物映画監督が似たような手法をとっています。この作品は私がケニヤという国を知るようになって以来、今やもう十数年になりますが、ずっと頭の中に思い描いていた企画です。つまりこれはフィクションであると同時にドキュメンタリーでもある美しい物語なのです。なぜなら野生の動物と訓練された動物とを混ぜて演じさせるので、従来のドキュメンタリーでは撮影できなかったものをまさに盛り込むことができるからです。
 

フラン・パルレ:フランス人がアフリカに覚える魅力とは、彼らがそこに抱くイメージとはどんなものでしょうか?
パスカル・プリッソン:私は東アフリカを知っていますが、西アフリカは知りません。私はイギリスが植民地化した国々だけを知っています。ケニヤで見かけるフランス人達は特に観光ツアーでやって来る、動物を見に、サファリをしに来る人達です。それはとてもいいことです、なぜならそれはケニヤにとって非常に大きな収入源だからです。ケニヤ人は親切な人々なのでうまくいっているのです。問題はありません。マサイはケニヤで最も豊かな民族の一つです。なぜなら彼らは国立公園の周辺に暮らし、幾つもの国立公園を管理しているので収入はマサイに直接はいるのです。これがエコツーリスム(環境に配慮した観光)です。
 
2006年1月
インタヴュー:エリック・プリュウ
翻訳:粟野みゆき
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