フランソワ=ミッシェル・プザンティ(マルセイユの「Point aveugle/盲点」劇場の共同創設者)は、2003年5、6月に、東京にある劇団青年団に招かれて、ベケットの「Fin de partie/勝負の終わり」の演出と、日仏合作劇である「Nœuds de neige/雪の結び目」の上演を手掛ける。プザンティは、フラン・パルレのために、かくの如く語ってくれた。
フラン・パルレ:貴方はベケットの芝居「Fin de partie/勝負の終わり」を上演作品に選ばれましたが、その理由をお聞かせ願いますか?
フランソワ=ミッシェル・プザンティ:理由ですね、ええと、これはといえる理由があったかな? これは、ここ10年の間時々上演されている芝居です。それに、フランスの俳優たちと日本の俳優たちが共演する、日仏共同制作「Nœuds de neige/雪の結び目」上演のために、私たちは日本に行くのだから、ベケットを演じられる俳優たちが殆ど全て「Nœuds de neige/雪の結び目」の俳優の中に揃っているのだから、と思ったのです。そこで私は、世界中で定期的に上演されているベケットのこの作品をやってみてはどうかと提案したのです。これは小品なので、非常に簡単に移動できます。私は、ここ日本で、ベケットがどの程度高く評価されているのか正確には知りませんが、恐らく東京でベケットがフランス語で上演されるようなことは、久しくなかったのではないかと思うのです。もちろん、ベケットの戯曲創作の初期の頃には、フランス語で演じられたことはあったとは思いますが。それに、私はこの劇場、アゴラ劇場がとても好きです。この劇場は、この芝居の上演によくできている場所と思いました。ですから、これといった理由は特にないのですが、強いていうならば、これは私がお見せしたい作品の一つでして、日本でこの芝居を上演するにあたって、特に理由をあげるとすれば、ここでこの芝居を上演する条件が整っているからということになるでしょう。
フラン・パルレ:「Nœuds de neige/雪の結び目」についてお聞きします。きっかけは何だったのですか。
フランソワ=ミッシェル・プザンティ:これは、3年前、ここアゴラ劇場で始まった企画で、6人のフランス人俳優と6人の日本人俳優との出会いから始まりました。 私たちは、日本で3週間一緒に仕事をしました。小さな作品「Nous partirons quand la direction des vents sera stabilisée /風向きがおさまったら、僕たちは出発しよう」をとりあげました。この企画をさげて、ここで何回か上演し、また、あるフェスティバルに招かれて、マルセイユでも演じました。そんなわけで、我々はここ日本で三週間練習したのです。とても簡単に出来、たいして難しいことではありませんでした。その経験から、続けてみたくなり、本格的な芝居の上演を実現したくなりました。それで、このたび、富士見市民文化会館キラリ☆ふじみやシアタートラムで実際に上演されることになりました。
フランソワ=ミッシェル・プザンティ:この芝居を要約するのは極めて困難です。劇の形態がとても抽象的だからです。その上かなりユニークです。ダンスではないのですが、見方によっては、ダンスを連想させるところがあるのです。でも、出発点はそこではなかったのです。それは存在に関する芝居です。物語もなく、役柄もなく、筋書きも持たないけれど、俳優の存在そのものを表現する芝居なのです。かなり特殊ですから、観客の側に、一種の興味を掻き立てることが必要です。ある種の関心を寄せてもらうことが必要なのです。これは実際に生じたことですが、練習を通してとても面白かったことがあります。それは、結局、奇妙なことに、この出し物に共通している点は、物語の部分ではなく、音楽の部分にあったということです。初期の練習を繰り返していて、或る時、私はふと気づいたのです。この出し物は内に大きな音楽性を秘めているということを。沢山のマイクがあったので、私は物音を増幅してみました。舞台に置かれた全てのものが、電子器具の装置を通して再び収録され、部屋中に拡大されました。 それはただ、身体同士が紡ぎ出す物音の増幅でした。人間同士が触れ合う時、すれ違う時、倒れる時、ぶつかり合う時に出す肉体同士のたてる物音の増幅です。そこには、いわば、音響的に強調された、肉体の総体的な動きがありました。ですから、私を大いに悩ましたもの、それが結局は、芝居のなかにあって、一種音楽的な論理性にかなったものだったのです。ところで、興味深いことに、ミショーに「リズムよ、リズム、暗闇の兄弟よ。」で始まる詩があります。私たちの芝居同様、結局この詩は、通奏低音として鳴るリズム網のお蔭で成り立っています。そのリスム網は、高揚したあの全ての肉体を用いて、一種の集団的な大きな機械を創造するのです。この芝居「Nœuds de neige/雪の結び目」は、正にそれなのです。私がお見せしたいもの、それは、肉体の別の可能性を求めて夢見る人間の群れなのです。